「藤村志保さんってどんな家族と暮らしていたの?なぜ子供がいなかったの?」
そんな疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。
気品ある演技で時代劇や大河ドラマに欠かせない存在だった藤村志保さん。
実生活ではどんな家庭を築き、どんな人間関係を大切にしていたのか。その背景に迫ります。
- 藤村志保の家族構成まとめ!
- 藤村志保・孤高の女優に子供がいない理由とは?
- 藤村志保のプロフィール
- 藤村志保に関してSNSの反応を見てみた!
藤村志保の家族構成まとめ!

女優の藤村志保さん(本名・静永操)が6月12日に、肺炎のため86歳でこの世を去りました。
神奈川県川崎市出身で、幼少期に父を戦争で亡くし、母子家庭で育てられます。
藤村志保さんは、1961年に大映京都撮影所の演技研究所に入所し、豊かな表現力と気品ある佇まいで頭角を現します。
大映の人気女優として数々の映画に出演し、時代劇や文芸作品で存在感を発揮。
葬儀は本人の意向により、近親者のみで静かに執り行われたとのことです。
藤村志保の家族構成まとめ!
女優・藤村志保さんの家族構成をまとめました。
藤村志保さんは1970年に実業家の静永純一さんと結婚し、ふたりで仲良く暮らしていました。
子供はいませんでしたが、まわりの子供たちにやさしく接していました。
幼いころに父親を戦争で亡くし、母親に育てられます。
藤村志保さんには妹が一人おり、東京・巣鴨の高級和食店「巣鴨田村」で女将をしています。
姉妹の仲も良く、時々お店に顔を出すこともあったそうです。
温かい家族に囲まれた、やさしい人柄の女優でした。
- 名前:静永純一(しずなが じゅんいち)
- 職業:元・日本シニセル株式会社社長/現・株式会社CNインターボイス取締役会長
- 結婚:1970年に結婚
- 同居:藤村志保さんと夫婦二人暮らし
- 子供:いない
- 藤村志保さん本人が「子育ての経験がない」と明言
- その代わり、NPO活動で子ども支援に尽力する(例:「日本子守唄協会」)
- 出身:神奈川県川崎市
- 生年月日:1939年1月3日
- 父:4歳の時に戦争で死別
- 母:毛糸商を営みながら女手一つで育てる
- 旧姓:薄(すすき)
- 妹:1人がいて、巣鴨の高級日本料理店「巣鴨田村」の女将をしていたが、2014年に閉店
時代劇映画やテレビドラマで活躍した俳優の藤村志保(ふじむら・しほ、本名静永操=しずなが・みさお)さんが6月12日に肺炎のため死去した。86歳。神奈川県川崎市出身。所属のオフィス優が発表した。葬儀は、故人の遺志により近親者のみで執り行った。
引用元:Yahoo!ニュース
藤村志保・孤高の女優に子供がいない理由とは?

藤村志保さんには子供がいませんでした。
本人も「子育ての経験がない」と明言しており、結婚後も子供には恵まれなかったようです。
出産や不妊に関する詳細は明かされていませんが、その代わり、周囲の子供たちに深い愛情を注いでいた姿が印象的です。
藤村志保さんは、NPO活動などを通じて、「親よりやさしく、親より厳しく」子どもを見る自分に気づくと語っており、母親にならずとも、多くの子供たちの心を支える存在であり続けたそうです。
藤村志保のプロフィール

藤村志保さんのプロフィールをwiki風にまとめてみました。
- 本名:静永操(しずなが みさお)
- 旧姓:薄(すすき)
- 生年月日:1939年(昭和14年)1月3日
- 没年月日:2025年(令和7年)6月12日(86歳没)
- 死因:肺炎
- 出身地:神奈川県川崎市
- 血液型:O型
- 星座:やぎ座
- 所属事務所:オフィス優(最終所属)
- 学歴・経歴
1957年:横浜のフェリス女学院高等部卒業
1957年:共立女子大学文芸学部聴講生となる
1960年:演劇を学ぶため渡米を計画するも、兄の急死により断念
1961年4月:大映京都撮影所に入所
1962年:映画「破戒」でデビュー - 芸名の由来
デビュー作「破戒」の役名「志保」と原作者「島崎藤村」から、永田雅一社長が命名する - 主な出演作品
映画
「破戒」(1962年)- デビュー作
「斬る」(1962年)
「忍びの者」(1962年)
「古都憂愁・姉いもうと」(1967年)- 初主演
「なみだ川」(1968年)- 主演
「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(1977年)- 第20回マドンナ
「夕凪の街 桜の国」(2007年)
「二人日和」(2005年) - テレビドラマ
NHK大河ドラマ「太閤記」(1965年)- ねね役
NHK大河ドラマ「三姉妹」(1967年)- 主演
NHK大河ドラマ「天と地と」(1969年)
NHK大河ドラマ「風林火山」(2007年)
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(2014年)- ナレーション(途中降板) - 特技・趣味
特技:地唄舞
趣味:土いじり
日本舞踊:花柳流の名取「花柳麗」として活動
1985年:地唄舞「藤村志保の会」をスタート、隔年で主宰 - 社会活動・著作
1983年:放送番組向上委員会委員に就任
1985年:著書「脳死をこえて」を執筆
腎臓バンク登録:自身も登録し、衆院法務委員会で参考人として意見陳述 - 日本子守唄協会副会長
2011年:出演作台本576冊を日本脚本アーカイブス推進コンソーシアムに寄贈 - 主な受賞歴
1962年:ホワイト・ブロンズ賞助演女優賞「破戒」
1962年:日本映画プロデューサー協会新人賞「破戒」
1985年:第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞「脳死をこえて」
1998年:川崎市文化賞
1998年:第53回毎日映画コンクール・田中絹代賞
2007年:第59回NHK放送文化賞
2012年:文化庁長官表彰 - 晩年
2014年:大河ドラマ「軍師官兵衛」ナレーション中に背骨圧迫骨折により降板
2025年6月12日:肺炎のため死去、86歳
葬儀:故人の遺志により近親者のみで執行
藤村志保に関してSNSの反応を見てみた!
藤村志保さんに関してSNSの反応を見てみました。
藤村志保さん、亡くなられたのか。綺麗な方でして・・
— 桐原剛造 as シューン (@mutosenjinshun) June 19, 2025
「怪談雪女郎」「大魔神怒る」が小学校の教室の妖怪やモンスター映画大百科系の本に載ってて印象に残ってたんですよ。雪女の話はよく知られた話だが、このメイクで現れたら・・
「今日見た事は誰にも話してはならぬ・・・」お悔やみ申し上げます。 https://t.co/3XWlVXQTAa pic.twitter.com/7I8AkNVjCa
女優の藤村志保さんがお亡くなりになりました。
— 邦画クラシックス@角川シネマコレクション (@kado_cine) June 19, 2025
藤村さんは1962年に映画『破戒』でデビュー。芸名は原作者 島崎藤村と役名にちなんだものです。
『古都憂愁姉いもうと』、『怪談雪女郎』、「眠狂四郎」シリーズなど数々の名作にご出演、多くのファンを魅了されました。
謹んでお悔やみを申し上げます。 pic.twitter.com/pOWz6VZ5co
とうとうこの日が来てしまったか。。
— hayamin (@hayamin_tw) June 19, 2025
年齢を重ねた後、「舞台ならいつまでも若い役ができますよ」と勧められたが、「映像の世界が好きだから老け役で十分」と言って、 テレビや映画への出演にこだわっていた志保さんは、根っからの映像人だった。
さようなら、そしてありがとう、藤村志保さん。 pic.twitter.com/rEETEGKxxw
まとめ
藤村志保さんは、華やかな女優人生の裏で静かに家庭を築き、子供がいない人生でも周囲への深い愛情を注いで生きてこられました。
多くの人に感動を与えたその姿勢と演技に、心から敬意を表します。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。