「スパーク3人娘」の人気メンバーとして一世を風靡した園まりさんが、80歳で急性心不全により逝去されました。
透明感のある歌声と大人っぽい雰囲気で選ばれた園まりさんは、グループの魅力を高める存在でした。
長年の歌手活動で多くのファンを魅了し続けた園まりさんの生涯と「スパーク3人娘」結成を深堀りします。
昭和の歌謡界を彩った伝説の歌姫、園まりさんの生涯について調べました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
- 園まりが「スパーク3人娘」に選ばれた理由は?
- 園まりが急性心不全のため80歳で逝去
- 園まりに関してSNSの反応を見てみた
園まりは結婚歴なし!
園まりさんが生涯独身を貫いた理由は、彼女自身の言葉によると「結婚願望がなかった」からだそうです。
歌手としてのキャリアを最優先に考え、仕事に打ち込む中で結婚の機会を逃してしまったとも語っています。
また、両親の介護に時間を割いていたことも影響したようです。
しかし、園まりさんは後悔していないと明かしており「歌手として生きることが私の人生」と語っていました。
園まりさんにとって、音楽こそが生涯のパートナーだったのかもしれません。
園まりが「スパーク3人娘」に選ばれた理由は?
園まりさんが「スパーク3人娘」に選ばれた理由は、園まりさんの才能と魅力が評価されたからです。
1960年に園まりさんはオーディション番組「あなたをスターに」で優勝し、翌年渡辺プロダクションと契約します。
その後、園まりさんの独特の歌唱力と魅力的な個性が認められます。
また中尾ミエさんと伊東ゆかりさんとともに「スパーク3人娘」を結成。
3人の個性が互いを引き立て合い、国民的人気を博しました。
園まりさんの透明感のある歌声と大人っぽい雰囲気が、グループの魅力をさらに高める重要な要素となります。
- 才能の早期発見:
1960年に園まりさんはオーディション番組「あなたをスターに」で優勝し才能が認められた - 渡辺プロダクションとの契約:
優勝後の1961年4月に園まりさんは渡辺プロダクションと契約を結びます
同じ事務所に所属していた中尾ミエさんと伊東ゆかりさんとの共演機会が増える - 独特の歌唱力:
園まりさんは透明感のある歌声と大人っぽい雰囲気があり、グループの魅力を高める重要な要素となる - 個性の相乗効果:
3人の個性が互いを引き立て合い、国民的人気を博しました
特に園まりさんは、中尾さんの「突っ込み担当」と伊東さんの「真面目な役柄」に対し「ボケ役」を担当 - テレビ番組での共演:
事務所の方針で3人組として活動 - 時代のニーズ:
1960年代にアイドルグループの先駆けとして、3人組の女性歌手グループが注目を集める
園まりが急性心不全のため80歳で逝去
園まりさんは2024年7月26日午前5時43分に東京都内の病院で急性心不全のため80歳で亡くなりました。
昨年10月末の「日本歌手協会第50回歌謡祭」に出演予定でしたが、体調不良で入院し代役が立つことになりました。
その後、園まりさんはコンサートに向けて、再びステージに立つため治療に専念していました。
しかし残念ながら回復叶わず、突然の訃報となります。
園さんは最期まで歌手としての情熱を持ち続けていました。
御冥福をお祈りいたします。
歌手で女優の園(その)まりさん(本名・薗部毬子)が7月26日に急性心不全のため亡くなっていたことが1日、分かった。80歳だった。
引用元:日刊スポーツ
園まりのプロフィールをwiki風にまとめてみた
園まりさんのプロフィールをwiki風にまとめました。
- 本 名:薗部毬子(そのべ まりこ)
- 生年月日:1944年4月12日
- 没年月日:2024年7月26日(80歳没)
- 出 身 地 :神奈川県横浜市
- 職 業:歌手、女優
- 活動期間:1962年 – 1994年、2001年 – 2024年
- デビュー曲:「鍛冶屋のルンバ」(1962年)
- 代 表 曲 :「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」
- 所属グループ:スパーク3人娘(中尾ミエ、伊東ゆかりとともに)
- NHK紅白歌合戦:6年連続出場
- 晩年の活動:全国各地での「3人娘コンサート」ツアー、テレビ・ラジオ出演、ディナーショー
- 死因:急性心不全
園まりの生涯について主な出来事を紹介
園まりさんの生涯について主な出来事をまとめました。
- 誕生と幼少期
1944年4月12日、神奈川県横浜市に生まれる
本名は薗部毬子(そのべ まりこ)
幼少期からモデルや少年少女合唱団として活躍 - デビューと三人娘結成
1956年、11歳で童謡「つゆの玉ころり」でキングレコードからデビュー
1960年、オーディション番組「あなたをスターに」で優勝
1961年、渡辺プロダクションと契約
1962年、「鍛冶屋のルンバ」で本格デビュー
同年、中尾ミエ、伊東ゆかりと「スパーク3人娘」を結成 - 歌手としての活躍
1963年、1964年にNHK紅白歌合戦に「三人娘」として出演
「何も云わないで」「逢いたくて逢いたくて」などのヒット曲を発表
映画にも出演し、日活黄金時代のスクリーンでも活躍 - 晩年と闘病
2008年1月に乳がんを発症し手術
2019年に乳がんが再発するも、闘病しながら活動を続ける
2004年から「三人娘復活コンサート」全国ツアーを行う
2019年に「日本レコード大賞」功労賞を受賞 - 最期
2024年7月26日午前5時43分、急性心不全のため都内の病院で逝去(80歳)
園まりに関してSNSの反応を見てみた
園まりさんに関してSNSの反応を見てみました。
【訃報】歌手の園まりさん死去
— あにまる便📮 (@WithAnimal4ever) August 1, 2024
「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などで知られる歌手の園まりさんが7月26日、急性心不全で死去した。80歳だった
中尾ミエさん、伊東ゆかりさんと「3人娘」を結成してNHK紅白歌合戦にも出場した。
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/x0qdHhHLSu
【訃報】歌手の園まりさんが急性心不全で死去 80歳https://t.co/ltTfQhXfF0
— ライブドアニュース (@livedoornews) August 1, 2024
「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などの代表曲で知られる園さん。2008年に乳がんを発症し手術したが19年に再発。闘病生活を続けながらも、コンサートなどに出演。復帰するために治療に専念していたという。 pic.twitter.com/63kzmKD102
園まりさんが心不全で死去。「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」などがヒット曲。7月26日、80歳でした。ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/7Sfr0L9Di1
— 里芋🌟ナイアガラの月 (@satoimo23) August 1, 2024
園まりが「スパーク3人娘」に選ばれた理由は?急性心不全で死去:まとめ
園まりさんは、1960年代に中尾ミエさんと伊東ゆかりさんと共に「スパーク3人娘」として活躍しました。
透明感のある歌声と大人っぽい雰囲気が評価され、グループの魅力を高める存在となりました。
長年にわたり歌手として活躍し「逢いたくて逢いたくて」など数々のヒット曲を生み出します。
園まりさんは、2024年7月26日に80歳で急性心不全により逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。