夏の甲子園を揺るがした名門・広陵高校の出場辞退と、それに続く中井哲之監督の退任劇。
「なぜ?」「監督一人の責任で終わりなの?」過去にプロ野球選手らを育て上げた名将の退任は、問題を解決する英断か、それとも根深い問題を隠すための「トカゲの尻尾切り」なのでしょうか?
この記事では、30年以上にわたる指導体制の功罪と、日本の高校野球界に潜む「指導」と「暴力」の危険な境界線に迫ります。
結論から言うと、中井監督の退任は、本当の問題を隠すための「トカゲの尻尾切り」に思えます。
部員の暴力という問題は、監督個人だけでなく、学校全体の体質や高野連のあり方にも原因があるはずです。
指導者の交代だけで幕引きを図るのは、根本的な解決からの逃避ではないでしょうか。
組織全体で問題をとらえ直し、どう変わるべきか考えることが重要でしょう。
中井哲之監督と部長だった中井監督の長男が退任(交代)することが発表されます。
新監督には、同校OBでコーチを務めていた34歳の松本健吾氏、新部長には教員の滝口貴夫氏が就任しています。
新体制で秋の大会に臨むつもりの広陵高校。
しかし、指導者という「トップ」を交代させただけで、チームは本当に変われるのでしょうか。
何事もなかったかのように練習は再開されましたが、一番大切なのは、部員一人ひとりが今回の問題を自分自身の課題だととらえることです。
これまでのように仲間内の間違いを「見て見ぬふり」する文化を断ち切り、選手同士が本気で間違いを指摘し合えるチームにならなければ、根本的な解決にはなりません。
今回の問題がここまで大きくなった原因は、学校側と高野連(日本高校野球連盟)が「内輪で済ませ、問題を小さく見せよう」としたことです。
学校側と高野連は、被害を受けた生徒の心の痛みよりも、学校の評判や大会の運営を優先しました。
最初の暴力事件の後、高野連の処分は「厳重注意」だけでした。
もしこの時、学校が被害者と真剣に向き合い、高野連が徹底的に調査していれば、SNSで告発される前に解決できたかもしれません。
問題を隠そうとしたことが、逆に不信感を大きくし、事態を悪化させます。
指導者だけでなく、問題を見て見ぬふりをした広陵高校野球部全体の姿勢が問われています。
学校側と高野連は、暴力事件を「部内のトラブル」と見誤ったことで、後戻りできない道へ進みました。
彼らは、傷ついた生徒の心よりも組織の体面を優先します。
もし最初にこれを「いじめ」ではなく「犯罪」に近い重大な問題(実際は犯罪レベルですが…)だと認識していれば、結末は違ったかもしれません。
しかし、その甘い判断が被害者の不信を招き、SNSでの告発へつながりました。
最初のボタンを掛け違えたことで、もう引き返せない状況に自らを追い込んでしまいます。
野球部員による暴力行為が発覚し大会中に夏の甲子園を辞退した広陵高校は、21日、中井哲之監督を交代させると発表しました。
引用元:Yahoo!ニュース
今回の事件は氷山の一角で、中井監督のもとでは「指導」を言い訳に暴力が許容される文化があったと考えられます。
約10年前に、部員が集団暴行で大怪我をしたと訴えた際も、学校側は「ドアの故障による事故」だと説明し、問題をうやむやにしています。
今回のカップ麺事件も同様に、暴力が「指導」という言葉にすり替えられています。
このように問題を「事故」だと言い換えたり、指導者が「教育だ」と正当化したりすることで、被害者が声を上げられない空気が長年作られてきたのではないでしょうか。
広陵高校が直面する問題は、かつての最強校であるPL学園がたどった衰退の道と驚くほど似ています。
両校に共通するのは、絶対的な力を持つ名監督の長期政権と、その陰で「指導」という名のもとに暴力が容認されてきた体質と問題が発覚した際の学校側の対応の遅れでしょう。
PL学園は、この問題への対応を誤った結果、新たな部員の募集を停止し、野球部の歴史に幕を引きました。
広陵高校も同じ道をたどる危険性があります。
もし今回の事件をきっかけに、過去の体質を完全に断ち切る改革ができれば、PL学園が果たせなかった「再生」という全く違う未来をつかむことも可能かもしれません。
広陵高校の野球部に関してSNSの反応を見てみました。
今回の広陵高校の事件は、単に一人の指導者の問題ではありません。
これは、「指導」という大義名分のもとで暴力が容認され、組織がそれを見て見ぬふりをしてきた、日本の高校野球界が抱える根深い問題の表れではないでしょうか。
この問題を一過性のスキャンダルで終わらせず、未来の選手たちのために関係者がどう向き合い、何を変えるべきなのか。その重い問いが、今突きつけられています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。