個性派女優として人気の江口のりこさん。
実は学歴が中卒という意外な経歴の持ち主です。
なぜ高校に進学しなかったのか、その理由に迫ります。
また、出身中学の卒業アルバム画像の有無や、江口のりこさんの学歴についてエピソードと併せて紹介します。
江口のりこさんの卒業アルバム(卒アル)はありませんでした。
しかし江口のりこさんの中学時代の写真を見ると、すでに現在の面影が感じられます。
長い黒髪とキリっとした目が印象的で、少女らしい柔らかな表情をしています。
制服姿の江口のりこさんは、背が高くスラリとした体型が目立ちます。
中学時代から陸上部に所属していたことも納得できる姿です。
この頃から芽生えていた自立心と個性が、後の女優としての活躍につながったのかもしれません。
江口のりこさんの学生時代のエピソードは後述で紹介します。
江口のりこさんは、5人兄弟の4番目として生まれ、幼い頃から経済的に余裕のない家庭環境で育ちました。
そのため、小学生の頃から「早く自分でお金を稼ぎ、好きなことをしたい」という思いを抱いています。
江口のりこさんの強い自立心が、高校進学を選ばず、アルバイト生活を始める決断につながりました。
学歴にとらわれず、自分の道を切り開いた江口のりこさんの生き方は、多くの人々に勇気を与えています。
江口のりこさんの出身小学校は、夢野町立菅生小学校で現在の姫路市立菅生(すごう)小学校になります。
兵庫県姫路市夢前町菅生澗に位置する公立小学校です。
江口のりこさんは、4年生の終わり頃に加古川市から夢前町(現在の姫路市)に転校しています。
転校先の土地があまり好きではなく、「どんよりしている」と感じていたようです。
そのため、江口のりこさんは小学生の頃から「中学校を卒業したら、この地域を出て行こう」と決意していました。
また、江口のりこさんは5人兄弟の4番目で、家庭の経済状況が豊かではなかったようです。
また江口のりこさんの父親が定職に就くことが難しく、仕事をすぐに辞めてしまう傾向があったとのこと。
江口のりこさんは小学生の頃から、将来は自分でお金を稼ぎ、好きなことをしたいという思いを持っていたそうです。
江口のりこの出身中学は、夢野町立菅野中学校で現在の姫路市立菅野(すがの)中学校です。
1947年に創立され、姫路市立菅野中学校は、「健康・向上・創造」を校訓とする公立の中学校です。
江口のりこさんの中学時代は、陸上部で活躍していました。
800mを専門種目とし、姫路地区の大会で3年連続2位という素晴らしい成績を残しています。
しかし、江口のりこさんは学業面では苦労していたようです。
勉強が好きではなく、授業中に「エスケープ」することもあったそうです。
実際、中学時代から「自由気儘」を実践していたようで、陸上部の顧問曰く、
「江口は度々、授業からエスケープしていました」
フーテンを地で行くような「常識」に囚(とら)われない生き方の原点はここにあったわけだ。寅さんを愛する江口が演じる「ソロ活女子」。まさにハマり役と言えよう。
引用元:デイリー新潮
江口のりこさんは中学生時代、ギタリスト布袋寅泰の熱狂的なファンでした。
特に布袋寅泰さんのギターに憧れ、雑誌の切り抜きを段ボールに貼ってネックレスにして身につけていたそうです。
また、映画にも強い興味を持ち、テレビで放送される映画をよく観ていました。
退屈な日々の中で、映画は江口のりこさんにとって大切な楽しみでした。
これらの興味が、後の女優としての道につながっていったのでしょう。
BOOWYファンが集まるお店の様子を見た2人。学生時代から布袋寅泰ファンだという江口は、1度布袋さんを目撃した話を始めます。布袋さんは歌舞伎町のロシア料理店でロシア人っぽい女性と2人で食事をしていたそうで、それを聞いた鶴瓶は思わず「いらんこと言うな!(笑)」と返します。
引用元:テレ東プラス+
中学生時代の江口のりこさんは、学校の図書室にあった『男はつらいよ』の本を愛読していました。
主人公の車寅次郎の自由奔放な生き方に憧れ「私も寅さんみたいに生きたい」とよく言っていたそうです。
この『男はつらいよ』への興味は、単に自由な生き方への憧れだけではありません。
演劇や映画への関心の芽生えでもあったと考えられます。
江口のりこさんは幼い頃から、周りの枠にとらわれない自由な生き方を好んでいました。
中学時代、授業中に「エスケープ」することもありました。
これは単なる問題行動ではなく、既存の規則や枠組みに縛られたくないという思いの表れではないかと推測します。
江口のりこさんは学歴が中卒ですが、高校に進学しなかった理由を推測を交えて紹介します。
江口のりこさんは小学生の頃から勉強が好きではありませんでした。
授業中に「エスケープ」することもあったそうです。
勉強よりも、働いてお金を稼ぐ方が楽しいと考えていました。
そのため、義務教育である中学校を卒業したら、勉強を続けるよりも働く道を選択しました。
江口のりこさんの家庭は5人兄弟で、経済的に余裕がありませんでした。
お小遣いももらえない状況です。
江口のりこさんの父親は定職に就くことが難しく、家計は厳しかったようです。
そのため、高校に進学するよりも、自分で働いてお金を稼ぐ方が良いと小学校の時から考えていました。
中学生の頃から、江口のりこさんは働いてお金を稼ぐことに興味がありました。
高校に行くよりも、働いてお金を貯め、好きなものを買ったり、自由に使えるお金を持ちたいと考えていました。
将来の夢を叶えるためにも、江口のりこさんは早く働き始めたいという思いが強かったそうです。
江口のりこさんの兄2人も中卒で働いていました。
そのため、高校に行かないことが特別なことではないと感じています。
また、両親も高校進学について特に何も言わず「好きにしたらいい」と言ってくれたそうです。
家族の理解があったことも、中卒で高校に進学しないことを選択した理由の一つです。
江口のりこさんは、『男はつらいよ』の寅さんのような自由な生き方に憧れていました。
高校に進学するよりも、自分の好きなことをして生きていきたいという思いがあったそうです。
早く社会に出て、自分の道を切り開きたいという強い意志が人一倍強かったのかもしれません。
これが後の女優としての道につながっていきます。
江口のりこさんが19歳で上京する際、母親の反応は意外にも淡々としていました。
江口のりこさんが「東京に行く」と伝えた時、母親は「あっそう」と言うだけで、反対も励ましもしなかったそうです。
その後も、江口のりこさんの女優としての活動に対し、母親からの反応はほとんどありませんでした。
ドラマを観たという連絡は一度もなく、お互いの仕事に干渉しないという暗黙の了解があったようです。
この冷静な態度は、江口のりこさんの自立心を育む一因となったかもしれませんね。
江口のりこさんが上京のために貯めていた20万円を、兄に「ちょっと金貸してくれ」と言われて全額貸してしまいます。
結果的に全部持っていかれてしまいます。
これは上京して女優を目指すという夢に向けて貯金をしていた矢先の出来事で、大きな挫折感を味わったそうです。
中学卒業後は上京資金をためるため、アルバイト生活を続けたという。「で、お金もたまってきたなという頃にね、問題のね、お兄ちゃんがね、“ちょっと金貸してくれ”とか言われて」と一番上の兄に金を貸したことがあったとした。
MCの「極楽とんぼ」加藤浩次から「いくらたまってたの?」と聞かれると、江口は「その時は20万円ぐらいですかね」と即答。「全部、持ってかれちゃったりとか。それでガクッと挫折したりとか」と振り返った。
引用元:スポニチ
江口のりこさんは高校卒業後、フリーターとして働き始めます。
地元の兵庫県姫路市から上京し、女優としてデビューするまでを時系列でまとめました。
江口のりこさんは中学生の頃から映画に興味を持ち始めます。
フリーター時代、神戸の映画館によく通い、さまざまな作品を観ることで映画への情熱を育ててきました。
映画の世界に魅了された江口のりこさんは、自分も演じる側になりたいと思うようになります。
18歳の終わり頃、江口のりこさんは女優を目指すことを決意します。
それまでのフリーター生活や映画館通いの経験を通じて、自分の将来について真剣に考えた結果でした。
「演じること」に魅力を感じ、自分の可能性を試してみたいという思いが強くなっていきます。
この決意が、江口のりこさんの人生を大きく変える転機になります。
中学卒業後、江口のりこさんは約3年間フリーターとして、さまざまな仕事を経験。
多くのアルバイトを通じて社会の仕組みや人間関係を学びました。
中には1日で辞めてしまった仕事もありました。
しかし、これらの経験が後の女優としての幅広い演技に生かされることになったと思われます。
江口のりこさんは「劇団東京乾電池」のオーディションを受けることを決意。
この劇団を選んだ理由は、映画でよく見る柄本明さんが主宰していたからだそうです。
柄本明さんの演技に憧れを抱いていた江口のりこさんは、その下で演技を学びたいと思いました。
有名な俳優が主宰する劇団で学べることへの期待と不安が入り混じる中、挑戦を決意します。
江口のりこさんは、19歳で所持金わずか2万円を持って東京へ上京します。
「劇団東京乾電池」のオーディションに挑戦し、見事合格を果たしました。
経験も知識もほとんどない状態での合格は、まさに奇跡と言えるでしょう。
この合格が、江口のりこさんの女優としての第一歩となります。
東京での生活は、家賃2万6千円の三畳風呂なしの小さな部屋から始まりました。
経済的に厳しい状況でしたが、江口のりこさんは夢を諦めませんでした。
お風呂に入るために銭湯に通うなど、不便な生活の中でも前向きに過ごしました。
この経験が、江口のりこさんの忍耐力を育てることになります。
生活費を稼ぐため、江口のりこさんは朝日新聞の配達員の仕事を始めます。
早朝の新聞配達をこなしながら、昼間は劇団での演技練習に励むという忙しい日々を送りました。
厳しいスケジュールの中で、仕事と夢の両立に奮闘する江口のりこさんでした。
劇団に入った江口のりこさんは、まず研究生として芝居の基礎を学び始めます。
発声練習や体の使い方、台詞の読み方など、演技の基本を一から学びました。
江口のりこさんにとって、すべてが新鮮でしたが、熱心に取り組むことで徐々に成長していきます。
研究生としての期間を経て、江口のりこさんは念願の劇団員になります。
本格的な舞台に立つ機会を得て、演技力に更なる磨きをかけていきました。
先輩俳優たちの演技を間近で見ながら学び、自分の個性を生かした演技スタイルを模索していきました。
この時期の経験が、江口のりこさんの女優としての基礎を固めることになります。
20歳の時、江口のりこさんは女優としてデビューします。
それまでの苦労と努力が報われる瞬間でした。
舞台での経験を生かし、カメラの前でも自然な演技を披露することができました。
この女優デビューは、江口のりこさんの人生における大きな転機となります。
2002年に江口のりこさんは、三池崇史監督の映画『桃源郷の人々』で映画デビューを果たします。
有名監督の作品に出演できたことは、江口のりこさんにとってチャンスとなりました。
舞台とは異なる映画の世界で、新たな演技の可能性を見出していきました。
この経験が、江口のりこさんの女優としての幅を広げることになります。
江口のりこさんは、独特の魅力と演技力で芸能界に新しい風を巻き起こします。
従来の美人女優とは一線を画す個性的な魅力で、多くの監督や視聴者の心を掴みました。
コメディからシリアスな役まで幅広くこなす演技力と、素朴で親しみやすい人柄で、多くのファンを獲得します。
江口のりこさんは、個性派女優として確立した地位を築いていきました。
江口のりこさんに関してSNSの反応を見てみました。
江口のりこさんの出身中学である夢前町立菅野中学校の卒業アルバム(卒アル)画像はありませんでした。
学歴は中卒で、高校に進学しなかった主な理由は、以下になります。
江口のりこさんは、高校に進学しなかったことを後悔せず、自分の道を切り開いてきた強さに感動します。
これからも個性豊かな演技で活躍されることを応援します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。