ドラマや映画など多方面で活躍中の磯村勇斗さん。
地元の静岡県沼津市の出身で、幼少期から学生時代はどのような環境で育ったのか気になりますよね。
幼少期から中学高校での学生時代のエピソードを交えて紹介します。
- 磯村勇斗の幼少期から学生時代のエピソードを徹底紹介!
- 磯村勇斗は中学高校でもモテモテだったのか調査!
磯村勇斗の幼少期から学生時代のエピソードを徹底紹介!
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— Daiichi-TV 望月/公式番宣担当 ※引っ越ししました (@DaiichiTV_prf) December 18, 2017
磯村勇斗さんが地元の中学校に通い、どのような学生生活を過ごしたのかを調べました。
2018年に静岡第一デレビの夕方の情報番組「まるごと」で、磯村勇斗さんが母校を訪れます。
磯村勇斗さんは生徒とバスケットボールを楽しみ、思い出の地元に凱旋したことが放送されました。
磯村勇斗の幼少期の画像とエピソード
磯村勇斗さんの幼少期から小学生のエピソードを調べました。
磯村勇斗の幼少期は落ち着きがなく言うことを聞かない子ども
磯村勇斗さんは、幼稚園時代からモテていた可愛らしいお子さんでした。
8歳年上の兄・磯村拓也さんに磯村勇斗さんはケンカを売っていたが相手にされなかったそうです。
幼少期は磯村勇斗さんは「サル」と呼ばれていました。
磯村勇斗さんは落ち着きがなく、騒いで言うことを聞かない子どもでした。
下記は磯村勇斗さん、幼少期の七五三ショットです。
磯村勇斗の小学生時代は目立ちたがり屋の性格
磯村勇斗さんは、地元の沼津市立第一小学校に通います。
磯村勇斗さんの父親が映画好きなことから、磯村勇斗さんも幼少期はハリウッド映画を観ていました。
磯村勇斗さんの母親が教育に熱心のため、テストの結果次第でおもちゃを買ってくれたそうです。
磯村勇斗さんは学業にも力を入れ、小学生時代の成績は優秀。
小学校時代は勉強とサッカーを頑張っていたとインタビューで語っています。
サッカーに関しては、小学3年生から6年生までクラブチームでプレーしていました。
「ジュビロ磐田のジュニアチームに所属するほど本気でやっていましたよ。でも限界を感じたようで、小6でチームをやめちゃいましたね。中学ではバスケットボール部に入っていました」(同級生)
引用元:週刊女性PRIME
また磯村勇斗さんはゲーム好きでも知られ、小学校の時からよくゲームをやっていたことを話しています。
磯村勇斗さんは小学校当時は、目立ちたがり屋の性格で密かに周りにチヤホヤされたい願望がありました。
「芸能界に憧れがあり、好奇心もあった」と語っています。
磯村勇斗はお笑いタレントのアンジャッシュやインパルスに憧れていたそうです。
学校でも目立つ存在だったんですか?
とにかく目立ちたがり屋でしたね。みんなを笑わせるのが好きだったので、小学生の頃はお笑い芸人になろうと思っていました(笑)。
引用元:live door News
磯村勇斗の中学時代の画像とエピソード
磯村勇斗さんは、2005年4月に地元の沼津市立第一中学校に進学し、2008年3月に卒業。
磯村勇斗さんは中学時代バスケットボール部に在籍しています。
スポーツは好きで運動神経もいいそうです。
磯村勇斗は目立ちたがり屋の性格
磯村勇斗さんは、高校でもバスケット部に所属しますが、目立ちたがり屋の性格なため、スーパープレーばかりを意識していました。
「バスケット部に入っていた」という磯村さんは、「目立ちたがり屋な性格が出てしまい、すごいプレーをする練習ばかりしていたんですよ」と告白。
しかし、試合では1度も“スーパープレー”を成功させられず、後悔しているそうです。
引用元:めざましmedia
磯村勇斗が役者を目指す原点
磯村勇斗さんが役者を目指すキッカケとなったのが、中学2年生の頃です。
磯村勇斗さんが通った沼津市立第一中学校には、スイスの学生と交流する行事がありました。
その行事の一環として自主制作の短編映画を作ることに。
中学2年生の時に、友達と自主制作の映画「ヌマヅの少女ハイジ」を制作。
この作品は15分程度のパロディ映画で、磯村勇斗さんが脚本とカメラ、主人公のハイジをひとりでこなします。
自主映画は中学校で上映した時に、周囲から拍手をもらい好評だったことから役者を志します。
主人公のハイジを自ら演じたことが、今日の磯村勇斗さんにつながっています。
磯村勇斗さんの父親は、パソコンに詳しかったため動画編集を担当。
しかし中学生で脚本や演劇は、凄いとしか言いようがありません。
沼津の少女ハイジw(磯村勇斗が中学時代に作った自主制作ムービー)#ぴったんこカンカン pic.twitter.com/Dxh2TkelNB
— オザワちゃみお@オザワ家 (@charmy1976) October 23, 2020
磯村勇斗の高校時代の画像とエピソード
磯村勇斗さんは、両親の希望で地元の高校に入学します。
磯村勇斗さんが進学した高校は、地元で有名な進学校です。
磯村勇斗は地元の沼津西高校に通う
磯村勇斗さんは、2008年4月に地元の静岡県立沼津西高等学校に入学し、2011年3月に卒業します。
高校1年までは普通科に所属し、2年生から理系に編入します。
磯村勇斗さんは、理系である数学や物理が苦手でした。
しかし仲良しの友達が理系を選択することで、磯村勇斗さんも理系を選びます。
中学時代から高校には進学せず、俳優志望で上京するつもりでした。
しかし両親の猛烈な反対により、地元の高校に進学します。
磯村勇斗は高校時代に地元の劇団『沼津演劇研究所』で演技を学ぶ
磯村勇斗さんは高校2年の時に、沼津市にある劇団『沼津演劇研究所』に入ります。
磯村勇斗さんの所属した劇団は平均年齢50代から70代の劇団です。
劇団の稽古場は、磯村勇斗さんの自宅から車で20分くらいの距離にあります。
磯村勇斗さんは学校帰りの毎週火曜と金曜に、両親に稽古場まで送迎をしてもらいます。
磯村勇斗さんの初舞台は高校2年生の時です。
磯村勇斗さんは30歳の役を演じ、相手の恋人役は55歳の女性で20歳の設定の役を演じます。
磯村勇斗さんの初舞台は寸止めのキスシーンもあったり、アクシデントがあったりしました。
磯村勇斗さんは初舞台とは思えないほど堂々とした演技で会場を魅了しています。
当時の演出家いわく、磯村勇斗さんは「素直で飲み込みが早かった」と語っています。
磯村勇斗さんは俳優として成功した今でも、地元の劇団『沼津演劇研究所』とつながりがあるそうです。
磯村勇斗は中学高校でもモテモテだったのか調査!
結論から言うと、磯村勇斗さんは自他共に認めるモテモテぶりです。
過去のエピソードを紹介します。
磯村勇斗は幼少期から可愛らしい顔で商店街でも人気者
磯村勇斗さんの両親が婦人服店を経営されていた沼津仲見世商店街では、小さなアイドル的な存在でした。
「夏祭りでは率先して神輿をかついだり、元気な子でしたね。地元で評判の美人なお母さんに似て、小さなころから可愛らしい顔で女の子にモテていたよ。商店街でもみんなが“ハヤちゃん”と声をかけるほど人気者だったね」(別の商店街関係者)
引用元:週刊女性PRIME
磯村勇斗は他校女子からハヤト様付けで呼ばれる
磯村勇斗さんは中学時代からモテていて、他校にファンクラブがあったそうです。
磯村勇斗さんは、他校の女子からハヤト様付けで呼ばれていました。
バラエティ番組に出演した磯村勇斗さんの同級生が、ハヤト様と呼ばれているのを証言しています。
「磯村くんが通っていた高校は、もとは女子高だったんです。共学になっても女子率が高かったこともあり、高校では女子生徒から“ハヤト様”と呼ばれるアイドル的な存在でした。沼津ではちょっとした有名人で、高校の名前を言うと“ハヤト様の学校?”とうらやましがられましたね」(前出・同級生)
引用元:週刊女性PRIME
磯村勇斗の初舞台となったチェーホフの『プロポーズ』での演技
磯村勇斗さんの人気ぶりを目の当たりにした、恋人役の武田さんが話しています。
「200人ほどが入るホールだったのですが、最前列から数列は彼目的の女子高生でびっしり埋まっていて驚きました」(磯村さんの恋人役の武田さん)
引用元:週刊女性PRIME
磯村勇斗の幼少期から学生時代の画像とエピソードのまとめ
磯村勇斗さんの幼少期から高校生までのエピソードをまとめました。
中学時代から役者の道を志すことを決意し、猪突猛進で突き抜ける行動力は凄いと言えます。
静岡県沼津市の地元愛が強く、今後も活躍される磯村勇斗さんをこれかれも応援しましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。